麺屋座風-the who noodle-

札幌市西区八軒に実在するラーメン屋店主のブログ。

麺屋座風について

麺屋座風[めんや ざふう]

は、北海道札幌市西区八軒に存在するラーメン店である。

 

歴史.

1.独立

札幌生まれのフリーターが札幌市の人気店・ラーメンてつやで3か月間修業し、2008年に「the who noodle」として独立。

北区北18条に設けた同店舗には看板はおろか入り口も無く、開店1年を経ても客はゼロだった。店主は当時を振り返り、「味には自信があったのになぜ客が来ないのかまったくわかりませんでした。近所に大将と言う人気店がありましたから、あちらに客を取られていたのかも知れませんね。今思えば大変な立地条件ですよ(笑)ただ当時はそんな所にまで気が回らず、ただただ悔しい毎日でした。厨房の影に隠れて前掛けを濡らしたこともありますね。」と語る。

当時のメニューはラーメンのみであり、それも電気ポットで沸かした湯に醤油を溶かしたスープにマルちゃんダブルラーメンの麺をゆでて入れた物だった。

ダブルラーメンを選んだ理由は当時流行しつつあった二郎系を意識して面の量を増やすためである。もっとも他の袋麺を2人前入れても同じことなのだが、店主にはこだわりがあった。

「地域性にこだわろうという気持ちはその当時からありましたね。やっぱり地域活性化とか大事じゃないですか。分かります?自分の味をどう表現しようか、悩んだ末に見つけたのが北海道の本物の味覚。拍子抜けでしたね、こんな身近にあったのに気付かなかったなんて(笑)。僕が先祖代々受け継いできたもの。それがダブルラーメンだったんです。」店主は真直ぐな目でそう語った。

 

1年経ってやっと客が来た。ただ、それは店主の妄想の中でだったが…。

確かな手ごたえは掴みつつあったものの、一歩進めば欲が出てくるものだ。さらなる客を掴むために店主はある軌道修正を試みる。

「店名とメニューの変更です。世界の人々から愛して貰えるようにと英語で店名をつけていたのですが…これからは国際化の時代ですからね。分かります?しかし、妥協するところはしなきゃいけない。だいたい英語ってアメリカの言葉ですよね?僕は日本で勝負している訳だから、もっと日本と言う国に誇りを持とうと思ったんです。愛国心ですね。ちょっと難しいかな(笑)。ヌードルを翻訳すると麺。新しい名前は麺屋座風にしました。こうして一歩一歩成長して行くんです。まだ英語を使ってる店があったら、ちょっと僕のことを見習って欲しいかな。」

「それからメニューも変えました。やっぱり味噌ラーメンじゃなきゃ、北海道の人間は理解できないかなって思って(苦笑)。こういうの、レベルを合わせるのも人気店としては仕方ないと思うんですよね。大人らしい対応もしなきゃ、みたいな(笑)。」

醤油の替りに味噌を溶かしてスープを作る。一見するとダシをとらない味噌汁だが、違う。そこには確かな店主の思いが流れていた。

 

2.再出発、人気店へ

 

『ラーメンと愛国』

"国民食"と言えば何か。

カレーライス・肉じゃが・ハンバーグ・麻婆豆腐・オムライスなど。そしてラーメン。

どれも戦後、家庭に普及したガスを利用する調理器具と世界のいろんなところから入ってきた食材を使って作れる簡単な料理である。

 

 

タイトルがうっさんくさくて手に取るのをためらったけど、ラーメンが好きな人間としてはなかなかおもしろいんです。

有名店が台頭してそこで修業した若者が師匠の味をアレンジして新店を出す「家元制」なんていう言及もあるけど、

僕的におもろかったのはそもそも日本にラーメンが普及するその端緒のところである。

 

1910年、東京に来々軒という中華料理屋ができてはじめて日本で庶民にラーメンが提供された。

しばらくはささやかな一地域での話だったのが、戦後チャルメラ屋台が流行して全国への普及が始まる。

また時は飛んで1970年、チキンラーメンの発売とともに家庭でもラーメンを楽しむ文化が生まれ、深く一般の下に馴染んだラーメンは札幌・博多・荻窪ラーメンをはじめとするご当地ごとの多様化を経て日本を代表する庶民派食文化に収まっていく。

ちなみに日本人ではじめてラーメンを食べたのは水戸光圀公…

 

そんなのが広く知られるラーメン普及の「神話」であり、また事実でもある。

けど一番大事な所が抜けている!そもそも日本人って小麦を食べることに慣れていたんだろうか?んなこたない。日本で穀物と言えば米である。それから粟に稗、地域によっては大豆にサツマイモである。めぼしい小麦食といえばうどんくらいの物。

この本にはそのへんの事情が推察されていたのだ。

 

僕の地元北海道の帯広にマルセ堂っていうタバコ屋があって、子供時代によくおつかいがてらそこのばあさんに昔話を聞いていた。

「戦争が終わったころっていうのは食べ物が無くてね、みーんな困ってた。とくに戦争から帰ってきた軍人さんはね、仕事が無くて大変だったのよ」

「うんうん」

「この店にも軍人さんが物乞いにやってきてね、食べ物くれー食べ物くれーって」

「そうなんだ」

「うちだって食べ物無くて大変だったけど、しかたないもんだからね、かわいそうでしょう。ラーメンあげたら喜んでねえ」

「!?」

 

食糧難の時代になぜかラーメンはあったというのだ。しかも戦後の昔から一般家庭にラーメンがあることが僕にはなんだか不思議だった。

 

著者曰く、それはGHQによる日本への小麦マーケットの開拓戦略および国力維持のための食糧支援によってもたらされた。

戦後さまざまなメディアを通してパン食が奨励された。

僕の好きなサザエさんの原作でもそのへんのエピソードが描かれている。豊かさの象徴として各種の家電が普及するが、その中になぜかそれまで馴染みの無かったトースターが含まれているのである。

新聞やラジオを通してパン食は普及して行ったそうだ。

これはやはりメディアに影響力を持ったアメリカ資本の意向によるものなのだ。

 

一方でラーメンの普及は上記のように自然発生的に語られる。しかしその背景にはパン食と同じようにアメリカの都合が絡んでいるのだ。